바로가기 메뉴 본문 바로가기 주메뉴 바로가기
ニュース

公館長及び公館の活動

  1. ニュース
  2. 公館長及び公館の活動
  • Font Size

文在寅大統領6.25戦争第70周年記念辞

DATE
2020-06-30

国戦争第70周年記念

 

尊敬する民の皆様、

参戦有功者並びにご遺族の皆様、

 

本日私たちは韓国戦争70周年を迎え、147名の勇士のご遺骨をここにお連れしました。ソウル空港は、英雄たちの還を迎する最も厳粛な場所となりました。

 

勇士たちは、ようやく大韓民国国軍の階級章を取りし、70年ぶりに私たちのもとにってきました。

 

悲しくも誇らしいことです。時間はかかりましたが、祖はただの一瞬もあなた方を忘れることはありませんでした。礼遇くしてお迎えすることができて光栄に存じます

 

本日お迎えした英雄たちの中に、すでに7名の方の身元が明らかになっています。

咸鏡南道の長津湖戦闘で散華された方です。

故キムドンソン一等兵、故キムジョンヨン一等兵、故パクジンシル一等兵、

故チョンジェスル一等兵、故チェジェイク一等兵、故ハジンホ一等兵、故オデヨン二等中佐の名前を史に刻みます。ご家族のもとで安らかに休まれることをお祈りいたします。

 

参戦勇士一人ひとりのご身が、私たちの自由と平和、繁の礎となりました。

誇りに思う気持ちで、会いたい気持ちや悲しい気持ちに耐えてきたご遺族に深い尊敬と慰の言葉を申し上げ、友を待ちわびてきたご存命の参戦勇士にも敬意を表します。

 

韓国政府は民とともに護の英雄たちを永遠に記憶します。

まだ、私たちのもとにれずにいる12万3千の死者が、家族のもとにってくるその日まで、諦めることなく探し出します。

 

政府はこれまで5千人余りの参戦勇士にお渡しできていなかった章を授し、生活調整手をはじめ、武功名参戦戦没勇士子女手を大幅に引き上げました。

参戦勇士とご遺族への遇に引きき最善をくします。

 

本日、英顕壇には私たちが探し出し、米へ送還する米軍死者6名のご遺骨も場を共にしています。韓国国民は、米を含む22ヵ参戦勇士の牲を決して忘れません。

 

ワシントンの「追悼の壁」を2022年までに完成し、「偉大な同盟」が参戦勇士の崇高な牲の上に根を下ろしているという事を永遠に称えます。

 

私が海外訪中に出った参戦勇士は一に、韓は第2の故だと、私たちの展をご自身のことのように大きな喜びと自負心を持っていらっしゃいました。

アメリカ、フランス、ニュランド、ノルウェ、スウェデンの参戦勇士に、民を代表して感謝と尊敬の表し、タイの参戦勇士には「平和の使徒メダル」をお贈りしました。

 

境はありません。

参戦国と共に進める様な報事業を通じて、勇士の崇高な牲を記憶し、称えます。

国戦争70周年を迎え、意義深い映像メッセジを送ってくださった参戦国の首と、本日の行事に加してくださった各大使にも深く感謝申し上げます。

 

民の皆

 

国戦争は、今日の私たちを作った戦争です。

戦争がもたらした悲劇も、戦争り越えた意志も、戦争り越えて成し遂げた経済成長の自負心と戦争した理念的傷跡も、私たちの暮らしと心の中に生き続けています。

70年が経っても、変わることなく私たちの姿になりました。

 

私たちは戦争禍に共に抗し、り越え、の大韓民国国民として生まれわりました。

難の前で結し、自由民主主義の値を守る力をつけました。

 

「最も平凡な人」が「最も偉大な愛者」となったのも韓国戦争です。

農作業の最中に、期の最中に、家族をして集まった隣人たちが、洛東江線を守り、ソウル奪還の英雄になりました。

の存在値を体感して愛心が向上し、平和の大切さを自するようになりました。

 

いかなる難も克服できる自信の源も韓国戦争でした。

参戦勇士は、戦争り越えた自負心と軍で身につけた技術で、後再建の主軸となりました。

場で倒れていった友の分まで大韓民を愛し、隣人と家族の誇りとなりました。

 

しかし、いまだに私たちは韓国戦争に記念することはできません。

まだ戦争が終わっていないからです。

今、この瞬間にも戦争の脅威はき、私たちは目に見える脅威だけでなく、私たち部の見えない反目とも戦争をしています。

 

私たちは皆参戦勇士の娘で、避難民の息子です。

戦争土の隅々まで傷痕をし、今も一個人の生と一家族の史に鮮明にっています。

それは徹底した反共精神として、豊かに暮らそうという勤勉さとして、民主と民主主義精神として多に表出されました。

 

しかし、すべての人に共通する一つの心は、この地に二度と戦争が起きてはならないということです。自分が生きる時代とともに、自分のすべてを身した人はお互いを尊重し合い、手を取り合うことができます。私たちは韓国戦争を世代と理念を統合する、皆の史的経験とするため、この長い戦争を終わらせなければなりません。

 

戦争酷さを忘れないことが「終」への第一です。

70年前、この地の自由と平和のために命を捧げた参戦勇士と平和を愛する世界の人の念願でもあります。

 

1950年6月25日、連安全保障理事戦争10時間後に決議文を採し、「北朝鮮軍の侵略中止と38度線以北への撤退」を促し、韓半島の平和と安全の回復のために史上最初の「連集安保」を動しました。

世界がともに高貴な牲をいました。

 

今私たちに必要なのは、今日の自由と平和、繁の礎となった多くの牲にする記憶と、私たち自身にする自負心です。

立先烈の精神が護の精神につながり、民主主義を守りく巨大な精神となったように、韓国戦争実践した愛と胸に秘めた自由民主主義を、平和と繁の動力として蘇らせなければなりません。それが戦争を記念する道です。

 

民の皆

 

国戦争で13万8千人もの韓国軍が死しました。

45万人が負傷し、2万5千人が行方不明となりました。

100万人に及ぶ民間人が死亡、虐殺、負傷で牲になりました。

10万人の子どもたちが孤となり、320万人が故を離れ、1千万人の民が離散の苦しみを経験しました。

 

戦争から自由になれる人は誰一人いませんでした。

民主主義は後退し、経済的にも酷な被害をもたらしました。

産業施設の80%が破され、時2年分の民所得にあたる財産が灰になりました。

会経済の基盤と民生活の基盤が崩れてしまいました。

 

戦争が終わった後も、南北は長い間、冷の最前線で立ち向かい、力を消耗しました。

民族が戦争という苦しみにあえぐ間、むしろ戦争特需を享受した国々もありました。

 

私たちにとって後の経済再建は、植民地支配からけ出すことと同じくらいしい道でした。

最初は援助にって復興と再建に努め、工業、重化工業、ICT産業を次と育成し、先進に追いつくまで丸70年がかかりました。

 

国戦争を克服した世代によって、私たちは「漢江の奇跡」を成し遂げました。

戦争が終わった1953年の1人たりの民所得がわずか67ドルだった大韓民が、墟から立ち上がり、民所得3万ドルを超える世界10位経済大国へと展しました。

援助を受けていたから援助をえるになり、追経済から先導型経済へと変わろうとしています。コロナ克服過程で世界が注目するとなりました。

 

民が守りいた大韓民は、民を守りくほどくなりました。

平和を作り出すほどのい力と精神を持っています。

 

我が軍にはどんな脅威も防ぐ力があります。

徹底した警戒態勢を整えており、私たちは二度と、わずかな領土、領海、領空さえ侵奪されることはありません。

 

私たちは平和を望みます。

しかし、誰でも韓国国民の安全と生命を脅かすなら、固として対応します。

私たちは全方位的にどんな挑も許さない防力を保有しています。

 

堅固な韓米同盟の上で、時作統制の返還も隙間なく準備を進めています。

私たちは、私たち自身の力をもって、必ず平和を守り、創っていきます。

 

尊敬する民の皆

参戦有功者並びにご遺族の皆

 

私たちは戦争に反します。

のGDPは北韓の50倍以上、貿易額は北朝鮮の400倍以上です。

南北間の体制競はずいぶん前にすでに終わっています。

私たちの体制を北朝鮮に要するつもりもありません。

私たちは平和を追求し、共に幸せに暮らすことを望んでいます。

私たちは絶えず平和を通じて南北共存の道を見いだしていきます。

統一を語る前に、まず仲の良い隣人になることを願います。

 

戦争をしながらも、初中等「避難校」を建て、な地域で「時連合大」を運しました。

私たちは未を準備し、平和を守る力を養い、誰にも見くびられないを作りました。

今、私たちの息子、娘たちは、「ポストコロナ」時代を他より先けて準備し、世界をリドする大韓民の主人公となりました。

 

戦争経験した親世代と新しい70年を開いていく後世の皆にとって平和と繁の韓半島は、必ず成し遂げなければならない責務です。

,000万同胞の宿願です。

世界史で最も悲しい戦争を終わらせるための努力に北朝鮮も大胆にり出すことを願います。

 

南と北、民族が経験した戦争の悲劇が後世に共通の記憶としてえられ、平和を切り開く力になることを祈ります。

統一を語るには、まず平和を成し遂げるべきで、平和が長くいた末に、ようやく統一の扉を見ることができます。

 

南北の和解と平和が世界に希望としてえられた時、護たちの崇高な牲に真に報いることができると信じます。

 

ありがとうございました。


loading