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韓国について

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渤海と統一新羅

DATE
2009-10-19

渤海と統一新羅

六世紀の半ば、新羅(シルラ)は半島の東南部にある部族同盟国家の伽倻(カヤ)を滅ぼし、勢力を大きく拡げるようになりました。また、唐との軍事同盟で高句麗(コグリョ)と百済(ベクチェ)を攻め落とし、668年に韓半島(朝鮮半島)を統一しました。続いて676年には以前から高句麗と百済の領土への野望を見せていた中国と
戦い、撃退しました。一方、中国東北部に住んでいた高句麗の難民とツング-ス系の靺鞨族は
698年に渤海という国を築き
ました。

                                             
渤海
(バルヘ)は高句麗の行政構造を受けついで、五つの地方都市を中心に中央集権国家を築きあげるとともに、高句麗文化を引きついで輝かしい文化を発展させました。

九世紀初頭に、渤海は北はアム-ル川流域、東は中国の東北部に至るまでの膨大な領土を有し、遠くトルコや日本とも外交関係を結ぶなど、唐から「海東盛国」といわれるほどの最盛期を迎えます。
しかし、926年に契丹によって滅ぼされました。支配階級のうち多くの韓民族が南下し、高麗王朝に吸收されました。

韓半島の統一を果たした新羅は、七世紀半ばに繁栄期を迎えます。仏教を国教とし、世界に誇る仏教文化が花開きました。慶州の有名な仏国寺(ブルグクサ)が建立されたのもこの時代です。しかし、時が経つにつれて、仏教は俗化し奢侈にながれ、貴族階級と同じく退廃していきました。また、貴族階級間の王権争いが絶えず、その隙をついて高句麗と百済系の地方豪族が反乱を起こし、国力は衰えていきました。そしてついに935年、新しく台頭した高麗(コリョ)に帰属することになりました。

 

 

 

 

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